宮城県聴覚障害情報センターは、聴覚障害に関連したさまざまなサービスを提供する総合的なセンターです。

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ろう重複って何だろう? 「もっと知りたい!エピソード集」

もっと知りたい!エピソード集
 子ども時代のこと~誕生から就学まで~ 
 


 
 





































































































































































 ダウン症もあり、成長もおしゃべりもゆっくり。手話を覚えてコミュニケーションをとれたらよかったな、と思います。
                    難聴×ダウン症

1歳で高度難聴がわかり、1歳半から補聴器を付けました。ろう学校乳幼児教室、幼稚部で、型はめバズルやジグソーパズルでたくさん遊びました。保護者同士の会話や交流がとても励みになりました。
                      難聴×●●

1歳児健診のあと、母子通所施設に通い、通所仲間のお母さんたちと話すことで、心が救われました。当時の宮ろうの乳幼児教室にも通い、忙しくはなりましたが、いろいろなことを知ることで、少し前向きになれました。
宮ろう幼稚部の担任の先生から「信頼関係ができなければ指導は進まないので、任せて。お母さんは見ていてください」と言われました。半年過ぎた頃、見学会で息子の様子を見ていたら、先生に視線を送り、「遊んでいいか?」と聞いていたようでした。先生は息子の行動を予測して、うなづいて「OK!」と示します。息子はやりたいことを終えると先生の手招きでみんなのところに戻りました。もし私だったら「早く座りなさい、戻りなさい」を伝えてひと悶着したかもしれません。忘れられないできごとです。
                    ろう×知的障害

 聞こえていないことがわかり、宮ろうの乳幼児教室「ひよこ」に7か月目から通い始めました。3歳の時に、東北大学小児科とアーチルで知的障害・発達障害・自閉症と診断され、そこから、病院のリハビリ科や母子通園、「ひよこ」と3か所に通いました。
 「ひよこ」の先生から「たくさん言葉をかけてください。言葉がでたら、それを返してあげてね」と教えてもらい、いまでもたくさん話しかけ、ことばを返すようにしています。
               難聴×知的障害×発達障害

 5歳になるまで、発達障害があることや聞こえないということが分かりませんでした。子どもがちいさいころは、まっさきに「耳が聞こえないかも」というふうにはならず、発達障害や肢体不自由など別のところに目が行きがちだったり、親としての気持ちが向きがちになることがあります。
               難聴×発達障害×知的障害
              難聴×発達障害×肢体不自由

 地域の保育園にいくか、療育をうけるか、と考えるとき、先輩お母さんたちや福祉事業所の見学会での情報は、とても意味がありました。
 障害があるとわかると、母子通園や療育施設といった、“ザ・福祉コース”を紹介されますが、地域の子どもたちや障害の有無にかかわらず通える統合保育を選択しました。よかったです。統合保育を受けながら、外部の早期支援を併用することも可能ですよ。
               難聴×発達障害×知的障害
              難聴×発達障害×肢体不自由

 言葉(日本語や手話など)を覚えるまでは、日常生活にあるものの写真をとって、意思疎通を図りました。その写真に文字を追加したり、指文字を追加したり…という方法で、日本語の獲得も促しました。
 子どもの幼少期に「目と目が合ってから話す」といった基本を教えてくれる人がいました。聞こえないことについて、そういった配慮や知識を知ること、教えてくれる人って大切です。
               難聴×発達障害×知的障害
              難聴×発達障害×肢体不自由

 手話を覚えたところで通じる環境がない、と思っていたので、ろう児支援や手話に特化した環境を選ばず、言語聴覚士や作業療法士、理学療法士といった様々な専門職が全体的にアプローチしてくれるところに行き、手話以外のコミュニケーション方法を身につけることができました。けれど、手話がある環境が、いかに本人を成長させ、気持ちを伝える手段の幅を広げてくれるかということを感じるようになりました。
                    難聴×知的障害

 娘は目や耳や心臓などいろいろな障害をもって産まれてきました。あやしても笑わない娘を抱いて、切なくなったなあ。今のようなネット社会ではないので情報量も少なかったです。
 就学相談では、聴覚支援学校か視覚支援学校か、悩みました。ただ、生徒が楽しそうに走り回る聴覚支援学校のスピードについていけないかも、と判断して、視覚支援学校を希望しました。さまざまなやりとりのなかで、「私が娘のことを一番知らなければいけないなあ」と感じるいい機会になりました。
    聴覚障害×視覚障害×運動失調による下肢機能障害

 小学2年生まで、ろう学校小牛田校に在籍して、重複学級は1人だけ。広い教室に担任の先生と2人で毎日楽しく過ごしました。時計に興味を持ったときには、先生がたくさんの時計を集めてくれて、教室いっぱいにひろげて遊びました。そこで1から12までの数字を覚え、次にカレンダーから1から30までの数字を覚えました。
 農業用の一輪車にのって、指をさす方向に先生が押してくれる、という遊びも好きになって、指差しで意思表示ができるようになりました。
 3年生からは本校に在籍して、ひらがなを書いたり指文字を表現する学習を通して、“ことば絵じてん”をよく見るようになりました。
 母が仕事に復帰するため、6年生から寄宿舎へ。寄宿舎には高等部卒業までお世話になりましたが、寄宿舎の先生方から基本的な身辺自立についてひとつひとつ具体的に教わりました。当時教わったことは、今でもよく身についています。他の生徒さんにもとても優しく接してもらいました。
                    ろう×知的障害

 幼稚部から小学部に進んだ時のことです。私は「校舎を移動するだけ!」と思っていましたが、息子にはとても大きな変化と負担がありました。体で緊張を表し、日中はいっさいトイレに行かず、帰宅後にトイレにいったり、おねしょをしたり…。先生方はたくさんトイレトレーニングをしてくれました。
 父親の転勤で、他県の養護学校で3~5年生まで過ごしました。手話の本を読みたいとリクエストしたところ、先生方は学部を越えて手話で話しかけてくれました。転校して2年目、息子に変化がありました。先生方や同級生の手話をじーっと見て、何かを読み取ろうとする様子があって、「何かを考えて繋いでいるな!」と感じました。
 小学6年から宮ろうに戻って、中学部へ。制服とかばんを見て、やる気を見せた息子は、母の付き添いを嫌がりました。先生にも伝えたのですが、要付き添い、ということで息子の意欲表明が消え、増えたのは反発でした…。
 先生方には親子共々、心身ともに支えていただいて、無事高等部を卒業しました。
                    ろう×知的障害

 物の名前や言葉を教えようと、絵カードや絵本を使いましたが、興味を示しません。小学部に上がるころ、やっと言葉らしきものを発しました。一番最初の言葉は「プール」。プールが好きだったんです。次に「バス」「タンポポ」。バスで通園していて学校までの歩道の道端にタンポポがたくさん咲いていました。次に、先生や友だちの名前です。指文字や文字もつけていきました。高等部に上がるころには、ひらがなはだいたい読めて、正確ではありませんが書けるようになりました。自分の身近にあること、関係があることしか関心を示しません。聴力検査の検査音には反応しませんが、名前を呼ばれると振り向きます。「音は入っていると思うので、このくらいの聴力にしておきます」と言われ、今3級です。
               難聴×発達障害×知的障害

 初めてのことや見通しが立たないことに不安を抱くので、いろいろなことを事前に経験させることが大切だと思います。小学部では野外活動で山登りをすることや、中学部ではスキー教室があると聞いたので、やらせてみました。いまでも「山に行きたいよ」「スキーに行きたいよ」と言ってくれるので、年1~2回ですが行っています。スキーは10年目でやっとひとりでちょろちょろ滑るようになりました。その姿を見て、とても嬉しかったです。
 そよかぜ広場の新春お茶会では、1回目は「何?」という顔をしていましたが、回を重ね、いまではお作法を覚え、上手に点てられるようになりました。年1回、されど1回。積み重ねは大切だと思いました。
               難聴×発達障害×知的障害

 先生方にはとてもよくしていただき、体育の時間には歩行器を使い、たくさんのリハビリのお手伝いをしていただきました。卒業式には自力で卒業証書をもらうことができました。感謝です。
                   難聴×指定難病

 小学校1年生になり、指文字や簡単な手話を覚えてから、落ち着いてきました。自分の気持ちを伝えられるようになったのが大きいのだろうと思います。
               難聴×発達障害×知的障害

 親として、家族として、本人と離れる時間が作れるようになったことは、気分転換という意味でとてもありがたく感じました。家以外での様子を見て、家族も余裕を持って過ごせるようになりました。
 また、手話と出会えたことが、本人にとっても家族にとっても、重要な分岐点でした。
                 難聴×重度心身障害

 視覚支援学校に入ったけれど、まったく聞こえず、弱視でぼんやり見えているくらいだったのだろうと思います。担任の先生を中心に、学部の先生方も簡単な手話を覚えてくれたりして嬉しかったです。
 実は、担任を変えないでほしいとお願いしました。先生との信頼関係を築くのに、年単位の時間を要するからです。見えにくくて聞こえず、自然に入ってくる情報はかなり少ないという状況で、先生が毎年変わればまた最初から関係性を築くことになってしまいます。私の思いは「100のことを理解できなくても、10をしっかり本人が納得して進んでほしい」であることを伝え続けました。娘は、居心地が良くて、人に関心を示し始め、覚えていた言葉を先生や私たちに発信することが増えてきました。簡単な二語文や三語文を手話や指文字で発信し、大きなポイントの文字を読んで指文字であらわしたときにも、胸が熱くなりました。通じ合えて嬉しい関係があるから、短時間でも集中して学習につながり、結果はあとからついてきたような気がします。娘にとってかけがえのない時間を過ごし、思い通りにならないことも交渉を覚え、応じられるようになりました。
    聴覚障害×視覚障害×運動失調による下肢機能障害

 娘が小学2年の時、夏休み入ってすぐの暑い日に迷子になりました。遊びに出かけた姉を追いかけて出て行ったけれど、すぐにはぐれてしまい、行先がわからなくなった娘は、姉が通っている小学校を目指して歩き出したようです。真夏の昼下がり、帽子も水筒もなく、歩道の街路樹の下で座っていたところを、近所の方が声をかけて保護してくれました。声をかけても返事もなく、ぼーっとしていたので自宅で飲み物とお菓子を出して様子をみてくださったそうです。補聴器を見て耳が聞こえないことわかり、筆談をしてくださったそうですが、名前や家を訪ねても全く返事がないので、ひとりで家に帰るのは難しいと判断し、警察へ連絡してくれました。
 捜索願を出して自宅で待っているところに警察から連絡がありました。家の外で待っていると、パトカーでサイレンと共に娘がやってきました。パトカーからお客様のように降りてきた娘は、満面の笑みで私に抱き寄り、手に持っていたお菓子とジュースを自慢気に見せてくれました。警察官の話では、娘に事情聴取をしたところ、ずっと口をぱくぱくしながら手をわさわさ動かしているので、手話だろうと思ったようです。ただ、警察官は手話がわからず、筆談でも通じないので、お互いに埒が明かなくなっていたようでした。娘の発達では、もし名前や手がかりとなることばを手話や身振りで話せたとしても、住所や電話番号などまでは伝えられないと思います。社会生活を送る中で、共通のコミュニケーションツールがない状況は、障害者などの少数派のことばが孤立しやすくなるということを身をもって体感したできごとでした。
                    難聴×ダウン症

 目を離さないように、心を離さないように、と思っていながら、ちょっとの隙に、高級車にちゃっかり乗り込み、持ち主の方を驚かせたことがありました。平謝りして、訳が分からなくても息子に頭を下げさせました。だんだん、“カッコイイ車”に行くのだということが分かってきました。成長とともによその車に乗るのはだめだということがわかると、今度は「運転したい!」となりました。できないよ、と息子に教えながら「来世は障害がない人で生まれてくれば何でもできるよ」と何度つぶやいたことでしょう。自転車は大人用三輪車で練習しましたが、思うように動かせず、息子自身があきらめました。自分であきらめる、しかたない、を本当に覚えた、と思います。
                    ろう×知的障害

 手話がすべてではない、と思います。自分の気持ちを表現するツール、相手と気持ちを伝え合うツールのひとつとして、手話があると思います。
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 「ろう重複」だからといって一括りにするのではなく、個別の学習や興味関心に合わせてもらえたら嬉しいです。個々に対応してくれたらグンと伸びることがあります。その子に必要なものを見極めて関わってもらえたら嬉しいです。
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 特別扱いではなく、他の生徒たちや周囲と同じ機会や体験するチャンスを受けられる権利があるはず。本人はきっと「みんなと同じことがしたい」。その中で得意なものや、本人がやりたいことを伸ばしてもらえたらいいなあ。
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 本人のできることを引き出していくような関わりや環境は、親だけでは作れません。親子だけでは行き詰ってしまうことも多いので、うまく周囲に頼れる環境やネットワークがあるといいです。
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 たくさんの病気のほかに、重度難聴もあるとわかったのは、2歳3か月の時でした。コミュニケーションを取ろうとしても、私だけが独り言のように、話しかけたり、身振りや手話、絵カードなどを使ったり…。娘からの反応がなくて、落ち込むこともありましたが、根気よく話しかけました。聴覚支援の先生方やリハビリの先生方にも手厚くご指導いただき、今では自分からたくさん発信してくれて、楽しく手話でおしゃべりするようになってきました。はじめからできないと思わず、なんでも挑戦してみる!娘の前向きさに、そして生きる力に、本当にすごいなぁと感心させられます。たくさんつらいことやだめかもしれないと思うこともあるけれど、何事もあきらめないことが一番大事なのかもしれません。指文字や手話もたくさん覚えてくれて、手話での会話ができる喜び。やはり手話は私たち親子にとって、なくてはならない大切なコミュニケーションのひとつだとかみしめている今日この頃です。
                      ろう×●●

 小学1年の冬休みのある日。あいにくの大雪でした。学校はお休みでも、出勤のために朝7時に家を出て、約2時間かけてのろのろと職場へ向かっているときのことです。
ふと、娘が「ママ、運転お疲れ様」と手話で話しかけてくれたのです。自分も朝早くから出発して乗っているだけでも疲れているでしょうに、その気持ちが嬉しくて、運転しながら号泣してしまいました。吹雪で前が見えないのに、さらに涙で前が見えなくなり…。手話の意味をきちんと理解して伝えてくれた、ふとした言葉が本当に嬉しくて、心に残る朝でした。
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